真・三國無双マルチレイドは近代戦争をテーマにしたシリアスゲーム

私は今までこれほどまでの生々しい戦争の側面を表現しているゲームは見たことありません。
リアルな戦争ゲームとして人気のコールオブデューティーがありますが、個人的にはこれより激しい表現に感じました。映画で言えばハリウッドではなく北野監督の表現に近いと思います。とても戦場の体験が痛いのです。どこかしらフィクションを感じるような個所がありません。戦争の本質とは暴力であり、きれいごとや正義で生き抜くことはできないことを教えてくれるゲームです。

戦時中、荒木貞夫大将は「武器が無ければ、竹槍で戦う」と発言した記録が残っていますが、まさにこのような、4人の戦士が刃物で科学を駆使して作られた兵器に立ち向かうゲームです。いかにこの行動が現実を分析しない精神論であることを思い知らされました。
実際の戦場では英雄になろうとすることがどれほど愚かなことか思い知らされました。相手に有利な立場など三秒もあれば逆転し、徹底した命の略奪がおこなわれます。しかも場所によっては圧倒的な人数差もあります。
「惇兄ー!我々に弾は残っていないのか!」
数少ない医療物資が一瞬で焼きつくされる様から、いかに国民の財産が簡単に吹き飛ぶものなのかも解ります。

塹壕も隠れる場所も無い場所で呂布に空中から爆撃をされ続け、四方からも絶え間なく銃弾が飛んできたときには現実を、未来を恨みそうになりました。また同時に制空権を相手にとられることがどれほど危険なことかも学びました。私は爆撃の中、ただひたすらに走り、逃げ続けたことだけを憶えています。

また現代兵器は見た目でそれが何か判らなくなっていました。人間でも空を飛べる時代です。精巧な美術品からはレーザーが飛んできましたし、巨大弓矢の兵器からは杭が飛ぶのかと思いきや大量の散弾を至近距離から撃ち込まれました。まさに兵器とは悪魔です。やつらは人間の命の尊厳など簡単に奪い去っていきます。どんなに倒れはて動けないとしても「生きているかもしれない」という疑惑さえあればいつまででも弾丸が私の身体を撃ち抜きました直接的な映像表現こそありませんでしたが、おそらく現実であれば四肢がわからないほど身体が破壊しつくされていると思います。

そのような苦境の中でも曹操たちは平等な「易しい」世界を!、というプロバガンダを掲げていました。私はそれを信じ再び戦場に赴きましたが、それがいかに嘘で固められた言葉だったことを痛感しています。そうです。現実に易しい世界など、易しい戦争など存在しないことに気がつきました。一秒でも殺すことを迷ったとき、相手に背中を見せてしまったときには、まっ先に相手の刃物が私に飛んできて身体を切り裂きました。戦場では「戦っている相手にも家族がいるのだ」と机上で思い耽るような余裕はありません。この場では誰もが今を生き抜くことに必死です。

このゲームは「リアル」、ではなく「生々しい」です。
終戦から60年以上が経ちましたが、このような現代において戦争の教育表現と娯楽性を併せ持った奇跡のソフトが誕生したことは誇らしいと考えています。このようなゲームは最近だとシリアスゲームと分類されていますが、日本発のとても重要なソフトになることは間違いありません。さすが歴史物のゲームを数多く発売されてきたコーエー社だと思いました。

このゲームをしたら戦争に参加しようなどと考えることは絶対に無くなるのではないでしょうか。あまりの戦場の生々しさに私は三章の途中で耐えられなくなってプレイを中断してしまいました。5年後、10年後、いつになるか判りませんが、私はこの戦争の現実に正面から向き合える大人になりたいと思います。そのときにはまた続きができるのではないかと考えるのです。